家康は、脱糞したか?(ウォーゲーム日本史第20号・三方原合戦)

 元亀3年(1573年)、武田信玄は、上洛しようとしました。
 その途中、遠江国で、徳川家康とぶつかったのが、三方原合戦です。
 この時、武田勢に完膚無きまでに、叩き潰された家康は、浜松城へ、逃げ帰る途中、あまりの恐怖に、馬上で、脱糞していたと言う逸話が、あります。
 以降、家康は、自分の軽挙妄動を慎む意味で、書かせた肖像画が、しかみ像だとの事です。

 マップは、現在の静岡県西部浜松市・天竜川周辺に、描かれており、武田勢(北条勢含む)25駒、徳川勢21駒、織田勢15駒で、戦いを繰り広げます。
 但し、武田勢のみが、2ステップを有しており、しかも、援軍で来る織田勢の3分の1は、0戦力と言うレーティングです。
 そう、このゲームは、同じウォーゲーム日本史第7号「長篠設楽原合戦」と同じゲーム・システムを使用しています。
 
 30枚あるカードが、重要な意味を持つゲームなのです。
 まず、勝利条件である三河勢の士気を決めるカードを裏返した5枚のカードから、1枚抜いて、伏せておきます。
 これには、「三河勢の士気1~5」が、プリントされており、ゲーム終了時、この士気値より、低ければ、武田勢の勝利、高ければ、徳川勢の勝利となります。
 勿論、「武田信玄」駒・「徳川家康」駒を除去しても、勝利出来ます。
 残りの士気カードは、山札に混ぜて、よく、シャッフルします。
 両陣営に、初期カード3枚ずつと、強制イベントのオープン・カード1枚と、士気カードを除いた22枚を、使い切った時点で、勝負が、決定します。(つまり、全11ターンのゲーム)

 移動は、通常1グループ(上限5駒)が、2エリア移動させます。
 しかし、山岳エリアは、1エリアずつです。
 又、河川の渡河は、渡河エリアが、決まっており、ゲーム開始時から、その渡河エリアから、隣接する渡河エリアの1エリアに、限られています。

 戦闘は、大別して、野戦と攻城戦の2種類が存在します。
 野戦は、1D6で、その駒の戦闘力より低い目を出せば、相手に1損害を与える事が出来ます。
 野戦の後で、不利だと思った陣営は、撤退を宣言出来ます。
 但し、野戦と同じ方法で、一度だけ、追撃戦を受けます。
 この時、反撃は、出来ません。
 
 攻城戦は、文字通り、城に籠城する敵を攻撃する方法です。
 まず、攻撃側は、城レベルと同じだけの損害を受けます。
 そして、攻撃側は、通常の野戦と同じ方法で、城を攻撃し、その損害が城レベル以上ならば、その城は落城します。
 但し、城に籠城している駒を除去する事によって、損害数が、城レベルを下回れば、落城は、免れます。

 又、包囲戦と言って、城を包囲している5駒につき1回、1D6して、1の目が出ると、攻撃側無損害で、落城します。
 時間がかかるのが欠点ですが、どれだけの駒が籠城していようと、問答無用で落城します。

 さて、長々とルール説明して来ましたが、リプレイに入りましょう。
 武田勢は私、徳川勢は、OASE新潟の「はやる」さんです。



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 武田勢は、別働隊に、2戦力5・1戦力のグループを分派し、本隊に、3戦力4・2戦力1、2戦力5、2戦力1・1戦力4・北条勢3のグループを作ります。
 第1ターン、初期カード「山家山方衆の調略」で、長篠城を攻略します。
 徳川勢も、カードを使用して、10駒を久能城の北エリアまで、進出させます。
 長篠城の城レベルは2なので、「三河勢の士気」は、10から8に下がります。

 第2ターン、初期カード「岩村城攻略隊」に、足手まといの北条勢3ユニットを除去して、2D6(今回は8)個の織田勢の増援を除去します。
 徳川勢は、「三河勢の士気5」のカードを捨てて、織田勢の援軍5駒を浜松城に置きます。
 「これで、最高条件での勝利は、無くなったネ。」とプレッシャーをかける「はやる」さん。



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 第3ターン、信玄が、犬居城へ入城します。(信玄動く!)
 徳川勢は、カードを捨てて、残り2駒の織田勢を浜松城へと呼び込みます。
 
 


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 第4ターン、「早駆け」で、3戦力4駒2戦力1駒と2戦力5駒のグループを只来城へ送り込むものの、徳川勢も、「早駆け」で、10駒を救援に向かわせます。
 初の決戦ですが、信玄の陣頭指揮だと言うのに、武田勢は、2戦力5駒のグループが、すべて、裏返ると言う大損害を受けます。
 それに引き換え、徳川勢に与えた損害は、成瀬正義(2)と1戦力2駒の除去のみでした。
 徳川勢は、駒を失っても、士気に影響はありませんが、武田勢は、駒を失うと、「三河勢の士気」が、上昇するのです。

 第5ターン、武田勢は、カード「火の如し」を使用しますた。
 これは、2グループ移動で、その駒の戦力プラス1にする強力なカードです。
 しかし、これは、不利と観た徳川勢は、「家康に過ぎたるもの」カードで、全軍を二俣城へと退却させました。
 そして、このターン、只来城が落城し、「三河勢の士気」が、8から7に下がります。

 第6ターン、武田勢は、カード「総掛かり」を使用して、3グループ移動で、二俣城を攻撃します。
 徳川勢は、カード「三河武士の意地」を使用して、戦力プラス1で、迎え討ちます。
 武田勢は、3損害を受けるも、徳川勢は、内藤信成(2)、青木貞治(1)、中根正照(1)が死亡します。



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 第7ターン、武田勢は、カード「総攻撃」で、1グループのみ戦力プラス2。
 一か八か、別働隊を浜松城に、突っ込ませます。
 今、思えば、この一手が、後の武田勢の命運を決めたと言えましょう。
 徳川勢に与えた損害は、わずかに、織田勢の1戦力駒の1個を除去したのみです。
 反対に、別働隊は、徳川家康の指揮の元、大損害を被ります。
 
 しかし、二俣城での戦いは、信じられないくらいダイスの目が、冴え渡り、3損害を被るものの、石川数正(3)、酒井忠次(3)、鳥居忠広(2)、青木忠門(2)、大久保忠佐(2)、松平家忠(2)の6駒を除去すると言う
大戦果を挙げたのでした。
 もし、家康が、脱糞したとすれば、このターン以外は、考えられないのです。

 第8ターン、強制イベントカード「雨」です。
 1エリアしか移動出来ずに、戦力マイナス1となります。
 それでも、武田勢は、攻勢をかけ、本田忠勝(3)を除去して、ついに二俣城が、落城します。
 「三河勢の士気」が、7から5に、下がります。



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 第9ターン、いよいよ、徳川勢の逆襲が始まります。
 と、言うのも、第8ターン終了時に、すべての武田勢の駒は、裏返っていたのです。
 浜松城決戦は、カード「魚鱗の陣」で、「敵にプラス2損害を与える」を出して、石川家成(2)、小笠原信輿(2)を除去して、撤退するも、武田信廉(2)、春日虎綱(2)が、除去されてしまいました。
 「三河勢の士気」が5から7へ上昇します。

 第10ターン、掛川城が、落城します。
 「三河勢の士気」が、7から4に減少します。
 二俣城の西のエリアで、浜松城からの追撃部隊と交戦します。
 武田勢は、織田勢の稲葉良通(2)を除去しますが、自らも、小山田信茂(2)を失います。
 「三河勢の士気」が、4から5に上昇します。



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 第11ターン、最後の望みをかけて、高天神城を包囲攻撃しますが、1の目は、出ませんでした。
 もし、この城を落とせれば、「三河勢の士気」を2まで減少出来たので、残念です。
 浜松城からの追撃部隊は、土屋昌次(1)を除去しました。
 「三河勢の士気」が、6に上昇した時点で、ゲーム終了です。
 伏せられていた「三河勢の士気」カードは、2でした。
 完敗です。
 この後、武田信玄は、死亡し、脱糞します。
 しかし、第7ターン、徳川家康が、あまりの損害と浜松城への強襲で、脱糞したかは、永遠に不明です。
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